お金を哲学する ~仮想通貨(ビットコイン等)とは~




お金 ≒ 情報

私は金融専門家をしている傍ら、医学部受験予備校・資格試験予備校等にて「小論文」「倫理、政治経済」といった科目の客員講師もしています。授業では、現代問題の背景にある哲学的素養についても講義しており、いわば「物事をよ~く考える」ということを教えているんですよね。今回は「お金を哲学する」をテーマに、ほかのFPさんからはなかなか聞けない、“お金そのもの” のお話をしていきたいと思います(ソシュールだとかシニフィアン・シニフィエなど、難しい横文字は割愛しているので、誤解のない範囲でかみ砕いてお伝えしますね!)。

例えば、みなさんが100円玉を握りしめ意気揚々とコンビニへ出かけたとします。コンビニに置いてあるアイス(100円/税込み)をレジへ持っていくと、握りしめていた100円玉と交換してくれるんですよね。これってすごくないですか?(?!)だって、ただの金属の丸い板と、美味しいアイスが交換できるんですもの。じゃあ、なぜ交換できるんでしょうか?

それは、先ほどの100円玉は「ただの金属の丸い板」ではなく、そこに「100円相当の価値を認める」という、人間の共通認識があるからなんですね。つまり、みんなして「この金属の丸い板には “100円相当の価値” がある!」という同じ想い(≒情報)が込められているからこそ、取引ができるんです。スター選手のサインも同じです。100円相当の色紙であっても、みんながあこがれるスター選手のお墨付き(≒情報)が入ることで、取引される価値がグッと上がるわけです。

このように、お金のもとは紙きれや金属板にすぎませんが、それでも社会で取引されるのはみんなで共通した認識(≒情報)が込められているからなのです(すごいですね)。

仮想通貨(ビットコイン等)とは

ここまでお金の性質についてお話してきましたが、いま話題の仮想通貨(ビットコイン等)とは、いったい何者なのでしょう?

仮想通貨とは、インターネットを介して不特定多数の人々に対し、サービスや取引の対価として使用できるものとされています。発行主体や管理者が存在しない点が硬貨・紙幣との大きな違いです(日本円は日本銀行が唯一発券できる機関でしたね)。つまり、「1仮想通貨=〇〇円で取引しましょう!」といった当事者間の合意のみでやりとりされているため、経済評論家の間では信用がある・ない の意見が割れています。

ちなみに、仮想通貨の中でもビットコインが有名ですが、これは仮想通貨の種類です。実際の通貨で「円」「ドル」「ポンド」があるのと同じですね。ほかにも、イーサリアムリップルNEMといった仮想通貨の種類があり、通貨の種類は日に日に増え、盛り上がっています。

仮想通貨(ビットコイン等)は、“買い” なのか?

結論から申し上げれば、投資ではなく投機ですので、マネーゲームの感覚で行うのであれば非常に面白い対象だといえます(投資と投機の違い:詳細は1.お金の増やし方について)。逆にいえば、安定して資産を形成していきたいと考えるのであれば、やや不安定な投資先だといえるでしょう。

上記のとおり、お金 ≒ 情報です。お金に込められた情報に信用性が固まらない限り、預け先としてはおすすめできませんし、また信用性があったとしてもFXのように振れ幅が大きいため、預け先としてはやはりおすすめしないでしょう。これが私の見解ですが、もちろんご自身の判断で「いける!」と思えば、生活に支障をきたさない程度にチャレンジしてみても良いですね。

まとめ:お金≒情報なので、情報に信用性がない仮想通貨は、預け先としてまだ不安定というのが見解です!

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